町家を守り、京都の美しさを守るために
北村 チエコさん(Bed & Breakfast あずきや 宿守)
1994年 京都芸術短期大学・同大学専攻科 美学美術史コース 卒業
北村さんの営む町家のお宿「あずきや」は、平安神宮や南禅寺のほど近く、春には蹴上インクラインの桜びらが美しく舞うところにあります。
町家で育ち、古いものや街づくりに興味があったという北村さん。大学では専攻する美術史だけでなく、都市景観―家の外側であるパブリックな場所をどうつくるか、それが個人にどう影響するかということを、多種多様な観点をもつ個性的な教授陣から学んだといいます。
そんなとき、自身の育った町家の老朽化という問題に直面します。
昭和元年に曾おじいさんの弟さんが建てられたというこの町家。照明器具やガラス戸は美しく洗練されていて、いまのデザインにはない奥深さを感じさせます。それなのに、管理していく資金もなく、このままだと更地にして駐車場にするしかありませんでした。
「都市景観のことを語りながら、自分のもっている町家は壊す、それはどうなんって思ったんです。」自分の育った町家を自分の力で残したい。町家そのものが修復のための資金を調達できる仕組みが必要でした。考えた末北村さんが思い至ったのが、宿屋という方法。「ギャラリーやカフェにすれば、外観は残せても、この美しい天井や建具は壊してしまうことになる。それを『町家を残す』と言っていいのか。一番すべてを残しておけるのが宿屋という方法だと思いました。」
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北村さんの町家にたいする思いは、「修復」にもあらわれます。
「どこまで本来の町家のかたちに戻して、どこまで今の人間が過ごしやすい利便性をもたせるか。お客さんにお金をもらって泊まってもらう以上、改修のたびにそのバランスに悩みます。でも、利便性にかかわらない部分は、本来の町家の状態に戻したい。」
例えば昔の壁は、竹木舞を編んで土を塗りこんで…という手間のかかるもの。手間を省いて、石膏ボードで代用しても、そこで過ごす人の居心地においてはさほど違いはないといいます。
「それなら、竹木舞を編んで壁を塗りたい。壁の中身がどうなっているか気づく人は100人中何人もいないかもしれない。でも、1人でも気づく人がいるかもしれないなら、手間がかかっても本来の壁のすがたに戻したほうが、自分も気持ちいいじゃないですか。」 -
「あずきや」の坪庭。夏にはここから涼しい風が入ります。庭師さんに入って整備してもらっているそう。町家にかかわる職人さんの手仕事が失われつつあることも、町家の再生を難しくしているといいます。京都を訪れた人が、京都の技術に触れ、その担い手に参加してくれたら。北村さんの願いです。
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北村さんがお客さんのために毎日つくる朝食。滋賀県のご友人から毎週送られてくるという有機野菜をつかったていねいなお料理です。時にはビーガンのお客さんのために野菜から出汁をとり、献立を考えることも。毎日大変そうですが、「お客さんを目の前にしたら、がんばっちゃおうかな、と思える」と話してくださいました。
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自分が大切に思うものと向き合い、竹を編み、土を塗り重ねるようにこだわりを少しずつ積み重ねていく。人に伝えるということだけでなく、自分のために。「そんな毎日を繰り返していけたら幸せ」と語ってくださいました。
町家を維持する技術をもつ人が増え、住居としての町家がよみがえり、京都の街なみの美しさが再び戻ってくるように。そのために自分の足で一歩一歩あゆんでいく。多くの人が「あずきや」に引きつけられるのは、北村さんの生き方にも、ひみつがあるのかもしれません。
text:鈴木さや香/photo:CHIMASKI/February, 2017
Bed & Breakfast あずきや
〒605-0046
京都市東山区三条通東分木町272 (ウェスティン都ホテル前)
TEL 075-771-0250
http://staykyoto.net/
北村 チエコ(きたむら ちえこ)
1971年、京都府生まれ。1994年京都芸術短期大学美学美術史コース卒業、専攻科同コース修了。あずきや宿守。卒業後、5年間副手として大学に勤める。個性的な教授陣に囲まれ、9年間で都市景観だけでなく、ひろく物事の見方を学び身につける。「京都造形に行かなかったら、町家を壊していた。」大学を退職後、家族から引き継いだ町家3軒のうち1軒を宿に、1軒を一棟貸しに、もう1棟を自身の住まいにし、少しずつ修復をしながら町家を守っている。自身を「宿守」と名乗るところに北村さんらしさが表れている。
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